スーパーのガム売り場で、「咀嚼率ランキング」という小さな掲示を見かけた。
都道府県ごとに「噛む力」が順位づけされ、秋田が一位、香川が四位、岡山が二十位とある。
出典はロッテの調査――それが示すのは、単なるガムの売れ行きではなく、
人々が日常の中でどれだけ“噛む”という行為を意識しているかのスコアだという。
だが、「噛む力」とは何だろう。
それは筋力の強さだけではなく、生活の中にどれだけ咀嚼の文化が根付いているかという指標でもある。
そして、その差を生み出すのは、土地の風土と暮らし方そのものなのだと思う。
秋田が一位という結果を見て、思わず頷いてしまう人もいるだろう。
秋田の食卓には、歯ごたえのある保存食が並ぶ。
いぶりがっこ、山菜、きりたんぽ。
どれも「よく噛んで味わう」ことが前提の料理である。
冬が長く、食を急ぐ必要のない土地では、
ゆっくり噛みながら、味と会話を楽しむ文化が自然と育まれてきたのではないか。
咀嚼とは、単に食べ物を細かくする動作ではない。
時間をかけて味を確かめ、感覚を整える“間”の文化でもある。
秋田の「噛む力」は、そうした時間の豊かさの象徴に思える。
冬の静けさの中で、家族が囲む食卓。
そこには、急がずに生きるという知恵が染み込んでいる。
一方、四位の香川はまったく異なる気候と文化を持つ。
太陽と風の国である香川を代表するのは、もちろん讃岐うどんだ。
コシのある麺は、噛むほどに小麦の香りが立ち、
その粘りが土地の人の気質にも似ている。
うどんをすすらず、しっかりと噛む――それが香川の食の作法だ。
香川の「噛む力」は、明るく前向きな日常の延長にある。
弾力ある麺を歯で受け止める感覚には、
「今日も頑張ろう」という小さなリズムがある。
噛むことで、暮らしのエネルギーを補っているのかもしれない。
岡山は二十位。順位としては中堅だが、
果物王国・岡山には、また別の噛む文化がある。
桃やマスカット、ブドウ――柔らかい果肉をゆっくり味わう習慣。
そこには、他県とは違う「優しさの咀嚼文化」がある。
勢いではなく、静かな味覚を確かめる時間。
それもまた、噛む力の一つの形なのだろう。
ロッテの調査では、「意識」「行動」「知識」をもとにした総合スコアで順位が決められている。
つまり、単に何を食べるかではなく、
「噛むことの意味を理解し、実践しているか」が評価されている。
だとすれば、このランキングは、
日本の地域ごとの時間感覚の差を映し出す鏡でもある。
速さを競う都市の食文化と、
ゆっくり味わう地方の食文化。
どちらが優れているという話ではない。
ただ、咀嚼の回数の多い地域ほど、
「生きることを急がない」時間の豊かさを残しているように見える。
私たちは日々、あまりに多くの情報を飲み込み、
味わう前に次の出来事へと移っていく。
スマートフォンのスクロールが、食事よりも速い時代。
そんな社会において、「噛む」という行為は、
人間らしい時間を取り戻す最も身近な習慣なのかもしれない。
噛むとは、立ち止まること。
よく噛むとは、よく生きること。
秋田の漬物も、香川のうどんも、
その土地に息づくリズムを伝える小さな文化遺産なのだ。
いま、「噛む国・日本」という言葉をあえて掲げたい。
それは、失われつつある“ゆっくり生きる力”への再評価でもある。
忙しさに押し流される毎日の中で、
ひと口を噛むように、ひとつの時間を味わう。
そんな暮らし方が、再び豊かさを取り戻す鍵になるのではないだろうか。
文:caritabito