現存十二天守の中で唯一の山城
日本には江戸時代から残る「現存十二天守」がある。その多くは平地や平山に築かれているが、山城の姿を今日に伝えるのはただひとつ、備中松山城である。岡山県高梁市の臥牛山(標高430m)に築かれたこの城は、戦国から江戸、そして明治維新を経てなお残り続け、今では「天空の城」として知られている。
訪れたのは今年1月のこと。冬の冷たい空気の中、石垣と白壁に守られた城は凛とした佇まいを見せていた。

登城道と石垣に守られた防御
駐車場から天守までは徒歩で登るしかない。登城道には自然石を組み合わせた石段や、苔むした石垣が連なっている。特に石垣の反りは見事で、敵兵を押し返すような力強さを感じる。
石垣の積み方にも工夫があり、大きな石を角に配置して崩れにくくする「算木積み」や、自然石を活かした野面積みが見られる。山城の険しい地形を利用しつつ、石垣と塀によって堅牢な守りを築いたことがよく分かる。



壁に穿たれた丸や四角の穴は「狭間(さま)」で、鉄砲や弓を放つための工夫だ。静かに苔むす石段を歩きながら、かつてここを駆け上がった兵たちの姿を思い描くと、時間が重なり合う感覚を覚える。
天守閣の外観
やがて視界が開け、白壁と黒板張りが印象的な天守が現れる。江戸時代初期、池田氏・水谷氏らによって整備された姿が今も残る。木造の現存天守は全国的にも貴重であり、とりわけ山頂に建つその姿は、地形と一体となった要塞の美を感じさせる。


石垣の上にそびえる天守は決して大きくはない。しかし、山上に築かれた堅牢さと端正な意匠は、戦国を生き抜いた山城ならではの迫力を備えている。
城内に残る生活の痕跡
内部に足を踏み入れると、素朴な木の香りが漂う。床板や柱は、何度も修復を経ながらも往時の雰囲気を伝えている。囲炉裏跡や窓枠からは、ここで暮らした人々の息遣いが確かに感じられる。


山城は軍事的施設であると同時に、支配者の居住空間でもあった。厳しい冬を越すための工夫や、狭いながらも機能的に作られた構造に、人の営みが垣間見える。窓から見下ろすと、眼下に広がる高梁の町と山並みが一望でき、ここに拠った武将たちの戦略眼を追体験できる。

現代の「城主」さんじゅーろー
備中松山城には、今も人々を惹きつける「城主」がいる。茶トラの猫「さんじゅーろー」である。観光客に愛され、時に天守の石垣や狭間から顔を覗かせる姿は、この城の象徴となっている。



かつて戦の拠点であった城が、いまは一匹の猫を中心に平和な交流の場となっている。歴史と現在が柔らかく結びつく光景に、どこか救われる思いがする。
天空の城としての遠景
最後に、向かいの山へと車を走らせた。そこから望む備中松山城は、まさに「天空の城」と呼ばれるにふさわしい姿だった。今回は雲海には出会えなかったが、山並みの中に浮かぶ天守の姿は幻想的で、刻々と変わる光の中で表情を変えていた。

気象条件が揃えば、朝霧に包まれた城が雲の上に浮かぶように現れるという。いつかその光景をこの目で見てみたい――そう願いながら、山を後にした。
結び
備中松山城は、単に古い建築が残っているだけの場所ではない。山城という軍事的合理性と、人が生きるための工夫、そして現代の人々が楽しみ親しむ文化がここには重なっている。
苔むす石垣に刻まれた時間、天守から見渡す壮大な風景、そしてさんじゅーろーの柔らかな眼差し。そのすべてが「この城が生き続けている」ことを語っていた。
天空の山城を訪ねた一日が、歴史と自然、そして人とをつなぐ時間となった。
文:caritabito