むかし、国境近くに住むひとりの老人がいた。彼の唯一の誇りは、家に飼っていた馬だった。
ある日、その馬がふいに逃げ出してしまった。村人たちは口々に「なんと不幸なことか」と嘆いたが、老人は静かに「それが幸か不幸かは、まだわからん」と答えた。

しばらくして、逃げた馬は立派な駿馬を連れて戻ってきた。今度は村人たちが「なんと幸運なことか」と歓声をあげると、老人はまた「それが幸か不幸かは、まだわからん」とつぶやいた。

ところが、その駿馬に乗っていた息子が落馬し、大怪我を負ってしまう。再び村人たちは「不幸だ」と嘆いた。だが老人は同じ言葉を繰り返した――「それが幸か不幸かは、まだわからん」。

やがて戦が起こり、若者たちは次々と徴兵され、多くが命を落とした。足を怪我していた息子は兵役を免れ、命を長らえることができた。幸と不幸はくるくると入れ替わり、先のことは誰にも読めない。

この寓話は、いまを生きる私たちにも通じる。
私自身、思いがけぬ異動を経験し、不安に駆られる日々もあったが、新しい学びや仲間との出会いが世界を広げてくれた。そして試験での挫折すら、次の挑戦を考えるきっかけとなった。

出来事に即座に善悪のラベルを貼らず、「その裏に芽があるかもしれない」と受け止めること。それが変化の時代を歩むための静かな力になるのだろう。

文:caritabito

投稿者

caritabito

キャリアエッセイ『塞翁が馬』件のコメント

  1. あとがき
    「塞翁が馬」の物語を思い返すとき、私たちはしばしば「幸か不幸かはわからない」という老人の言葉に立ち止まらされます。結末を知っている私たちにとっては「不幸と思えたことが幸へつながった」と読み解けますが、物語の中の登場人物には未来は見えません。
    私たちの人生もまた同じです。出来事の価値は、起きたその瞬間には定まりません。後になって振り返って初めて意味が形を帯びることも多い。だからこそ、「いま」を一喜一憂せず受け止める視点が、日々を穏やかに歩む力になるのだと感じます。

    caritabito

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