久しぶりに帰省した息子が、「ちょっと旅行気分を味わいたい」と言った。
短い滞在の中で選んだ行き先は、まだ誰も家族で訪れたことのなかった閑谷学校。岡山市内から車で約一時間。日本遺産であり、歴史を知る場所であり、そして帰りには備前焼にも触れられる――そんな一日にしたいと考えた。

真夏の陽は朝から容赦なかった。
8月中旬の強い光が山あいを射し、石垣の上に揺らめく陽炎が立ちのぼっていた。汗をにじませながら門をくぐると、そこには時を閉じ込めたような静謐さが広がっていた。

目の前に現れた石垣は丸みを帯び、幾重にも重なって長く続く。人の手で積まれたものとは思えないほど緻密で、なぜか温かさを感じさせる曲線に、思わず息をのんだ。

中央に大きく枝を広げるのは、悠然と立つ楷(かい)の木。その木陰に立つと、何百年もの間ここを訪れる人々を見守ってきたのだと自然に思えた。

やがて視線の先に、国宝の講堂が姿を現す。茶色い瓦と白い漆喰がきりりと対をなし、朝日を浴びて輪郭を際立たせている。その端正さに引かれるように歩み寄り、誰もいない講堂の中へ足を踏み入れた。

広い板間に一歩踏み込むと、木のきしむ音が静けさを破る。光が障子を透かし、床にやわらかく広がった。その床は磨き込まれ、まるで鏡のように周囲を映し返す。柱も梁も障子の格子も、そして外の緑までもが、深い水面に溶けるように映り込んでいた。

娘と息子はその光景にただ見入っていた。日常から切り離されたような不思議な空間。理由を知る前の純粋な驚きと疑問が、そのまま瞳に宿っていた。

講堂を出て奥へ進むと資料館がある。夏の熱気が漂う展示室を抜けると、一室だけ冷房の効いた部屋があり、そこで流れる紹介ビデオに思わず見入った。涼しさの中で古文書や模型に目を移すと、時間の流れが立ち上がってくるように感じられた。

閑谷学校は1670年、岡山藩主・池田光政が庶民のための教育を志して創建した。
完成から三百年以上を経た今も講堂は国宝として残り、敷地全体も特別史跡に指定されている。江戸から昭和へと時代が移り変わる中でも、学校として使われ続け、戦後は県立和気高校閑谷校舎として子どもたちの声を響かせた。そして現在も、岡山県青少年教育センターの入所者がこの国宝の講堂で論語を学んでいる。学び舎としての命は途切れることなく続いているのだ。

この学校の建設に深く関わったのが津田永忠である。彼は藩主の理想を形にし、革新的な技術を導入した。屋根には備前焼の瓦が葺かれ、三百年を超えてなお雨風に耐え続けている。基礎には赤土や石灰に松脂や酒を混ぜた「和風セメント」が打たれ、度重なる地震や湿気から建物を守り続けた。鏡のような床の輝きは、こうした技術と知恵の結晶だった。

石垣に、楷の木に、講堂の床に――先人の祈りや願いが込められている。
静けさの奥に耳を澄ませば、「学び続けよ」という声が聞こえてくる気がした。

その余韻を胸に、私たちは備前焼の町・伊部町へ向かった。赤茶色の土壁と煙突が残る街を歩き、ミュージアムで炎と土が生む造形の美を見つめた。
そして土産物店で備前焼のビアマグを手にした。実は私だけが知っている――この器で飲むビールは驚くほど味わいを変える。子どもたちがその変化を体験する瞬間を思うと、自然と頬が緩んだ。

歴史と暮らしと芸術が一つに溶け合った一日。
鏡のような床に映った緑の鮮やかさは、きっと長く私の心に残り続けるだろう。

文・写真:caritabito