萩への到着は思いのほか早く、ホテルのチェックインにはまだ時間があった。その空き時間をどう使おうかと考え、街の歴史を感じられる場所――明倫館を訪れることにした。

明倫館は、かつて長州藩が藩士教育のために設けた藩校である。ここでは、文武の基礎を学ぶ多くの若者が育ち、その中から後に明治維新を牽引する人物も輩出された。吉田松陰自身もこの明倫館で学び、のちに開いた私塾「松下村塾」では、高杉晋作、木戸孝允、そして長州五傑といった若者たちに大きな思想的影響を与えた。
この地は、中央からは遠い。しかし、九州や長崎には近く、海外の情報や文化に比較的触れやすい地理的環境があった。閉じた空間ではなく、外の世界の気配を感じ取れる場所。そうした風土が、時代を見通す目を育てたのかもしれない。そして、吉田松陰という思想家の存在が、若き志士たちの心に火を灯したことは間違いない。

館内には、当時の教育方針や技術、軍事に関する多様な資料が展示されていた。中でも目を引いたのは、鉄の重要性をめぐる記録だった。列強に追いつくには、銃砲や艦船を製造するための鉄材が不可欠であり、そのためには延性や靱性に優れ、加工しやすい鍛鉄や鋼材の確保が課題だった。
当時の長州藩は、そうした鉄の製造技術ではまだ十分とは言えず、藩内での自給には限界があった。そのため、最新の兵器や鉄材を海外から調達するという現実的かつ先見的な判断がなされた。これは弱さではなく、変革のために「今何を選ぶべきか」を冷静に見極めた決断だったといえる。結果として、長州は近代兵器を早期に整備し、精鋭化された軍事力を背景に維新の中核となっていった。

展示室の一角で、私は一枚の写真の前に立ち止まった。明治33年(1900年)、官営八幡製鐵所の建設現場を視察する伊藤博文と井上馨が写っていた。背後には巨大な炉や配管がそびえ、周囲には日本人技術者とともに、外国人技術者の姿も並んでいる。
時代の先を見通し、必要な技術と人材を世界から集め、自らの手で国家の土台を築こうとした彼ら。その一枚の写真には、単なる製鉄工場以上のもの――新しい国を築くという意志と構想力のスケールが映し出されていた。
萩の静かな午後。明倫館という歴史の止まった場所で、写真に映る彼らが見つめていた未来と、今を生きる私たちの現在とが、ふと重なった気がした。
文・写真:caritabito