石見銀山を訪れた。
その名は歴史の教科書で見た記憶があるが、どこか遠い時代の話のようで、現実味のない存在だった。けれど、実際にその地を訪れ、歩き、体で感じてみると、その印象は大きく変わった。
この地は、かつて世界にも名を知られた銀の産地だった。
戦国から江戸にかけて隆盛を極め、やがて幕府の天領として管理され、長崎を通じて海外との交易にも重要な役割を担っていた。歴史の中で、日本が国際社会に関わっていた証の一端が、この石見にあったのだ。

町並みには往時の面影が今も残されており、石畳の坂道や木造の商家が、静かに時を刻んでいる。
その風情ある通りを抜けて、私は「龍源寺間歩」へと向かった。
「間歩(まぶ)」とは、銀を採掘するために掘られた坑道のこと。
石見銀山にはこの間歩が山中に無数に点在していたという。その中でも龍源寺間歩は、唯一常時公開されているものである。
町から龍源寺間歩までは、徒歩で約2.3km。
真夏の日差しの下、30分ほどの上り道をゆっくりと進む。道中には、かつて山師たちが試し掘りをした小さな間歩が点在しており、この一帯がどれほど多くの労働者で賑わっていたかを静かに物語っていた。

到着すると、入口で入場料を払い、ヘルメットを手にする。
装着して坑道へ足を踏み入れた瞬間、空気ががらりと変わる。
外の暑さが嘘のように、ひんやりとした冷気が体にまとわりつく。
「これほど涼しいとは」――まさに天然の冷房だ。

坑道内には、人々の労働の痕跡が至るところに刻まれている。
あちらこちらの壁には、ノミやつるはしで掘り進めた跡が生々しく残されており、中には鉱脈らしき銀色の筋が見える場所もある。銀を追い求めて進んだその穴の先には、かつての希望と苦労が染み込んでいるようだった。
坑道が崩れないように組まれた木枠や、湧き出す地下水を排出するための立坑なども当時のままに保存されている。初期の排水作業には「水吹子(みずふいご)」という、竹や木で作られたポンプを使い、人の手で水を地上へ汲み上げるという、今では想像しがたい方法が用いられていた。
「掘る作業より排水作業の方が過酷だった」という説明文が、妙に胸に残る。
その日の宿泊は、事前に予約していた道の駅「ごいせ仁摩」のRVパーク。
設備が整っており快適だったのだが、夜には思いがけない出来事が待っていた。
なんと、18時から21時にかけて、石見神楽の上演が行われたのだ。

事前には知らなかったが、観客席には地元の方々の姿も多く、地域に根ざした行事のような雰囲気が漂っていた。
舞台に立っていたのは、「大屋神楽社中」の皆さん。
この日披露されたのは、「田村(たむら)」という演目。
平安時代の武将・坂上田村麻呂が鬼の化身を退治する物語で、豪華な衣装、勇壮な剣舞、そして力強い太鼓の音が、夏の夜に響き渡った。
鬼の面に対峙する場面では、観客の視線が舞台に吸い寄せられ、子どもたちも夢中になって見入っていた。
旅先で、偶然出会うものには、予定された観光以上の驚きと感動がある。
今回の神楽との出会いも、まさにそうだった。
観ているうちに、この土地の歴史が過去から今へとつながっていることを、肌で感じるような気がした。
石見銀山――それは、単なる史跡ではない。
人々が生き、働き、願いを込めて築いてきた記憶の場所である。
また季節を変えて、再びこの地を訪れてみたい。
そのときには、きっと新たな表情を見せてくれることだろう。
文・写真:caritabito