「人は、誰かに理解されたから幸福になるのではない。
誰かの前に、自分として現れたとき、すでに幸福の只中にいる。」

この言葉に、私はしばらく立ち止まった。

キャリア支援という仕事をしていると、「幸福」という言葉は、どこか扱いにくい。
満足度、納得感、安定、成功、成長――
それらの言葉で代替されることは多いが、「幸福」そのものが正面から語られることは少ない。

だが、面談という場で、確かに起きている何かがある。それは、選択が決まった瞬間でも、問題が解決した瞬間でもない。むしろ、相談者がまだ揺れていて、言葉が整っていないときに、ふと訪れる。

「今、話していて思ったんですが……」
「うまく言えないんですけど……」

そう前置きしながら語られる、未完成な言葉。それが遮られず、評価されず、急いで整理されることもなく、ただその場に“置かれる”。そのとき、相談者の姿勢や声が、わずかに変わることがある。私はその瞬間を、何度か目にしてきた。

行為としての面談、語りとしてのキャリア

近代以降、キャリアは「選択の問題」として語られてきた。どの仕事を選ぶか、どの道に進むか、どう最適化するか。だが、人は選択の主体である以前に、語り、行為し、他者の前に現れる存在なのではないか。キャリア面談の本質は、答えを出すことでも、正解に導くことでもなく、「私はこういう人間だと思う」と語れる瞬間を支えることにある。それは効率的ではない。成果指標にもなりにくい。しかし、その人が再び自分の人生を生き始めるための、決定的な起点になることがある。

人間力を回復させるということ

面談に来る人の多くは、すでに「役割」や「期待」によって、自分を小さくまとめている。評価される存在。正しく選ぶべき存在。失敗してはいけない存在。そうした枠組みの中で、自分の言葉を持つことを、どこかで諦めている。キャリアコンサルタントができる最も深い支援は、新しい選択肢を提示することではない。
「あなたは、考え、語っていい存在だ」
その前提を、面談という場に回復させること。それは、人間力を「高める」ことではなく、すでにある人間性を、もう一度立ち上げることだと思う。

幸福は、追うものではなく、立ち現れるもの

幸福を目標にすると、人は状態管理に向かう。満たされているか、不足していないか、比較に耐えるか。だが、幸福はもっと静かで、遡及的なものだ。後になって、ふと振り返ったときに、「あのとき、確かに私はそこにいた」そう言える経験。誰かの前で、自分の言葉を持って現れた記憶。それが、人生を内側から支えている。キャリア面談は、その経験が生まれやすい、小さな、しかし確かな公共圏なのだと思う。

キャリア支援の極みとして

面談によって人間力を回復させ、結果として幸福度が「満ちていく」。それは、キャリアコンサルタントという仕事の、最も奥深い地点なのかもしれない。決めさせない勇気。まとめすぎない態度。揺れたまま語ることを許す構造。そうした一つひとつが、人が再び「自分として現れる」ための舞台をつくっている。キャリアとは、積み上げる履歴ではなく、どのように世界に現れてきたかの物語なのだと、私は今、思っている。

文:caritabito