工具箱を開けるたびに、彼はいつも同じことを思う。
――いったい、自分は何をやっているんだろう。
中には、似たようなレンチが何本も入っている。
ドライバーもサイズ違いが揃いすぎているし、一度しか使っていない治具も、なぜか捨てられずに残っている。合理的に考えれば、必要最小限で十分なはずだ。プロでもない。趣味の延長にすぎない。「これがないと困る」という道具は、実のところ数えるほどしかない。
それでも、工具は少しずつ増えていった。
ある日の整備は、本来なら簡単な作業だった。少し緩んだボルトを締め直すだけ。動画で予習も済ませてあるし、所要時間は十分もかからない――はずだった。
ところが、実際に手を動かし始めると、思うようにいかない。サイズが微妙に合わない。力が入りにくい。手首の角度がしっくりこない。彼は一度、手を止めた。工具箱を開け、別のレンチを探す。
「……この前、買ったやつがあったはずなんだけど」
独り言をつぶやきながら箱の中をかき回す。結局、作業は三十分以上かかった。しかも、終わったあとに頭に浮かんだのは、こんな考えだった。
――次は、もう一つ、違う工具が要るな。
以前、整備を頼んだ店で、作業を眺めていたことがある。工具を持ち替える手に、迷いがなかった。一度も止まらず、確認のような動作もほとんどない。あの人なら、この作業は、もう終わっているだろう。
そう思いながら、彼は、手の中のレンチを見た。同じ道具でも、手触りはまるで違う。彼の手元には、ためらいが残っている。その分、動きは遅い。効率も悪い。
プロに頼めば、こんな遠回りはしない。必要な道具を、必要な順番で取り出し、迷いなく作業を終える。その差は、技術だけではない。彼が感じていたのは、「分かったつもり」と「分かった」のあいだにある、厚みの違いだった。
動画を見れば、手順は理解できる。理屈も分かる。だが、実際に手を動かすと、身体が追いつかない。どこに力がかかり、どこで止めるのか。頭で知っていることと、手が知っていることは、別のものだった。
そこに、沼がある。
道具が増えると、選択肢が増える。選択肢が増えると、迷いが生まれる。どれを使うか。今の状態に合っているか。無理をしていないか。効率は、確実に落ちる。だがその分、彼の意識は、今この瞬間に引き戻される。
金属の重さ。手触り。締め込んだときの、わずかな抵抗。考えすぎていた頭が、少しだけ黙る。
道具沼にいると、「もう分かった」という感覚が、何度も裏切られる。昨日うまくいったやり方が、今日は通用しない。同じ工具なのに、条件が少し違うだけで結果が変わる。そのたびに、理解は更新される。正解は固定されない。状況に応じて、少しずつ形を変える。
彼は、その感じに、どこか見覚えがあった。
キャリア相談の場でも、同じことが起きる。理論はある。枠組みもある。だが、目の前の人には、そのまま当てはまらない。「これでいけるはずだ」と思った言葉が、響かないこともある。逆に、準備していなかった一言が、思いがけず届くこともある。
結局、その日の整備は、当初の目的以上には進まなかった。成果と呼べるものもない。誰かに話せるほどの出来事でもない。それでも、工具を片づけながら、彼は不思議と悪い気はしなかった。
次に同じ状況になったら、少しだけ迷わずに済む。少しだけ、力を抜ける。その確信が、手の中に残っていた。
道具沼は、たしかに無駄が多い。効率も悪い。最短距離からは、確実に外れている。だが、その遠回りが、「分かること」を急がせない。
それでいい、と彼は思った。
―終わり―
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