― トランジション理論とキャリア・アイデンティティの視点から ―

1.導入 ― 家族の転機が、自分のキャリアの転機になるとき

共働きが一般化した現在でも、配偶者の転勤は依然として女性のキャリアに大きな影響を及ぼしている。
「夫の転勤に同行するか」「自分の仕事を優先するか」――
その選択は、単なる地理的移動ではなく、
キャリアアイデンティティ(自分がどう生きたいか)を揺さぶる転機である。

キャリアコンサルタントは、この“家族要因によるキャリア変化”を、
個人の成長や価値観の再確認のプロセスとしてとらえ、
「他者に合わせる」から「自分で決める」への転換を支援していく必要がある。

2.事例 ― 「夫を支えたい。でも、自分のキャリアも失いたくない」

川原理沙さん(仮名・33歳)は、大手商社の営業職として勤務。
成果も安定しており、近くリーダー職への昇格を控えていた。
そんな折、夫が地方支店への転勤を命じられた。期間は3年間の予定。

「同行するなら退職しなければならない。
でも、この仕事を辞めたら、戻る場所がなくなる気がして……」

夫は「一緒に来てほしい」と望む一方で、
「仕事を続けてもいいよ」とも言っており、決断を委ねている。
理沙さんは「どちらを選んでも後悔しそう」と語る。
その迷いの根底には、“自分の人生の主語が誰か分からなくなる不安”が見え隠れしていた。

3.分析 ― トランジション理論とキャリアアイデンティティの視点から

(1)シュロスバーグのトランジション理論:役割変化の適応
配偶者の転勤は、本人にとって「非予期的トランジション」となる場合が多い。
理沙さんは、キャリアの成長局面で「妻としての役割」が強く再浮上し、
複数の役割(職業人・妻・パートナー)間の葛藤を経験している。
支援では、状況(Situation)・自己(Self)・支援(Support)・戦略(Strategies)の
4Sを整理し、選択の根拠を明確にすることが重要となる。

(2)スーパーのキャリア発達理論:確立期の再探索
33歳は「確立期」にあたり、
自らのキャリアを安定・発展させる段階である。
しかし家庭要因による転機は、この確立期に“再探索”をもたらす。
理沙さんの課題は「仕事を辞めるかどうか」ではなく、
“どのように自分のキャリアを継続させるか”という発想への転換にある。

(3)サビカスのキャリア構成理論:自己物語の再構築
サビカスは、キャリアを「人生の物語」と捉える。
理沙さんの物語は、これまで「努力してキャリアを築く女性」として語られてきた。
しかし今、彼女は“支える妻”という別の物語との折り合いをつけようとしている。
支援では、過去の物語と未来の希望を統合する
“新しい物語の語り直し”を促すことが有効である。

4.支援の焦点 ― 「正解探し」ではなく「納得の物語づくり」

支援の焦点は、“どちらを選ぶべきか”という正解を示すことではない。
むしろ、理沙さん自身が「どうありたいか」を再確認し、
自分の選択に納得できるストーリーを描くことが支援の核心となる。
具体的な支援の方向としては以下が挙げられる。

① 価値観の明確化
 → キャリア・アンカー(専門性、生活様式、挑戦、奉仕など)を用い、
  自身が何を優先したいのかを整理する。
② 現実的選択肢の可視化
 → リモート勤務・転職・単身赴任などの選択肢を現実的に比較検討。
  選択肢を“可能性”として広げることで心理的柔軟性を取り戻す。
③ ライフキャリアバランスシート作成
 → 「夫婦」「仕事」「家族」「自分の時間」などの領域を見える化し、
  “誰のために何を優先しているか”を整理する。
④ 自己効力感の再構築
 → 「どの道を選んでもキャリアを続けられる」という自己信頼を支援。

キャリアコンサルタントは、
理沙さんの“選択を尊重する伴走者”として、
彼女が自分の軸を取り戻すプロセスを支えることが求められる。

5.考察 ― “支える”ことと“自分を生きること”の両立

本事例からの示唆は、
キャリアの主導権を他者に委ねないことが、自己決定の第一歩であるという点である。
理沙さんのように「誰かを支える責任」と「自分のキャリアへの誇り」を両立させたい人にとって、
重要なのは“二者択一”ではなく、
「支えながらも、自分の軸を持ち続ける」という中間的な在り方である。

キャリアコンサルタントは、
「夫に合わせる」「自分を通す」という極端な選択を迫るのではなく、
“共に生きるキャリア”をどう描くかを支援する存在である。

人生の転機は、しばしば“揺らぎ”の形で訪れる。
しかし、その揺らぎこそが、
自分の価値観を再確認し、キャリアの物語を深めるきっかけになる。
――それは「支える側」で終わらず、
「自分の人生を生きる側」へと移るための、静かな転機なのだ。

文:caritabito