人類は、人の能力を超える材質とエネルギーを手に入れたことで、人ができることの何十倍、何百倍もの仕事をこなすようになり、進歩の速度を驚異的に引き上げた。
鉄の発見により武器が作られ、火薬によって自在に操れるエネルギーを手に入れ、内燃機関によって人類が発揮できない力を得た。
その結果、グローバルな移動が可能となり、国境を越えた交易や交流が進んだ。
だが同時に、それは異文明間の衝突という新たな摩擦も生んだ。
価値観の違いはときに理解を生み、ときに対立を生み、やがて資源や富をめぐる争いへと発展した。
技術が生んだ「力」は、豊かさを分かち合う道具にもなりえたが、同時に「豊かさの争奪戦」を激化させる刃ともなった。
一方で、人は便利さを追い求め、効率を“善”とみなす社会を築いていった。
生活は整い、消費は習慣となり、やがて世界は同じ商品の、同じ広告の、同じ欲望で満たされていった。
消費世界は標準化され、文化の多様性は静かに削られていく。
その裏で、資源の消費は加速し、自然の均衡はゆっくりと、しかし確実に崩れていった。
やがて、今までにない現象が起こることで、人はようやく異変に気づく。
気候の乱れ、予測不能な災害、生態系の連鎖的崩壊――。
しかし、それを修正することはできない。
なぜなら、人類の営みは、すでに不可逆だからだ。
技術の進歩は一方向にしか進まない。
失われた森は一晩では戻らず、融けた氷河は人の一生では再び凍らない。
それでも人は進むことをやめられない。
進化こそが人類の本能であり、同時に最も深い呪縛でもあるからだ。
不可逆な進歩の先に
進化とは、もはや止めることのできない流れである。
それは人類の叡智が導いたものでもあり、同時に欲望がつくり出した潮流でもある。
かつて火を手にしたとき、人は光とともに影を生み出した。
その影は時を経ても薄まらず、文明の歩みとともに濃くなっていった。
技術は後戻りしない。
便利さは一度知れば忘れられず、効率化は常に次の段階を求める。
だが、その先にあるのは「より良い世界」なのか、それとも「より速い崩壊」なのか。
不可逆とは、単に戻れないという意味ではない。
それは、選択の重みを引き受けるということだ。
一度選んだ道を進みながら、その歩みの中で新たな倫理を生み出すこと――
それが人類に残された、ほとんど唯一の“修正”の方法なのかもしれない。
森が失われ、氷が溶けても、再び芽吹くいのちがある。
その小さな循環を守り続けることが、進化という流れの中で人間が果たすべき責任だ。
不可逆な流れを止めることはできない。
だが、その流れに「方向」を与えることはできる。
進化を選び続けるということは、破壊ではなく、再生の意志を問い続けること。
その問いを持ち続ける限り、人類の歩みは、まだ終わりではない。
文:caritabito