面談の途中で、ふと同じやり取りを繰り返していることに気づく瞬間がある。
相談者も、私も、言葉は動いているのに、心が動いていない。
それが、いわゆる“堂々巡り”の始まりだ。

「上司の言い方がきつくて……でも仕方ないんです」
「そうですか。ではどうされたいですか?」
そんな往復を何度も繰り返していたある面談で、私はようやく自分の焦りに気づいた。
早く展開させなければ。時間内に整理しなければ。
その焦りが、相手の感情を聴く余白を奪っていた。

沈黙のあと、思い切って問いを変えた。
「そのとき、どんなお気持ちでしたか?」
相談者は一瞬視線を落とし、「悔しかったです」と小さな声でつぶやいた。
その言葉に宿る体温を感じたとき、私はやっと“聴く”という行為の意味を思い出した気がした。

感情が場に戻ると、話の輪郭が変わる。
「仕事を続けるべきか」「辞めるべきか」という表面のテーマの下に、
「認められたい」「自分らしく働きたい」という想いが見えてくる。
堂々巡りが終わる瞬間とは、正確に言えば、感情が再び言葉を動かし始めた瞬間なのだと思う。

それから私は、焦点を一つに絞るよう心がけている。
話が広がるときは「今いちばん気になっていること」を確認し、
思考が止まるときは「未来の自分ならどう見るだろう」と視点を変えてもらう。
そして何より、自分自身が“助けなければ”という思いに飲まれていないかを見つめ直す。

堂々巡りとは、失敗ではなく支援の鏡なのかもしれない。
相談者の中の感情が置き去りのときもあれば、
支援者の心が置き去りのときもある。
どちらの場合も、その静止点を通して、関係は深まっていく。

あのときの沈黙が、今では私にとって一番の学びになった。
焦りの中に気づいた“感情の再接続”こそが、支援の再出発点だったのだ。

文:caritabito