人は互いに右手を差し出して握手をする。
右手同士でなければ成立しない、奇妙な対称の儀式。
けれどもこの行為の背後には、私たちの身体をかたちづくる分子たちが、すでに何十億年も前から「片方の手」を選び取ってきたという、驚くべき宇宙的な選択がある。

分子の世界の“右手と左手”

化学の世界では、鏡に映したような関係にある分子を鏡像異性体(エナンチオマー)と呼ぶ。
右手型(D型)と左手型(L型)――見た目はそっくりだが、空間的に重ね合わせることはできない。

生命を形づくる分子にもこの「手の向き」が存在する。
たとえば、アミノ酸はすべてL型(左手型)で構成され、糖(ブドウ糖など)はD型(右手型)のみが使われている。
つまり、地球上のあらゆる生命は、片手の世界に生きているのだ。

では、なぜ片方だけが選ばれたのか

初期の地球では、右手型と左手型の分子がほぼ同じ割合(ラセミ混合)で生まれたと考えられている。
それが、いつ、どのようにして一方だけに傾いたのか――これは生命の起源をめぐる最大の謎のひとつである。

研究者たちは、その「偏り」を生んだ原因をいくつかの仮説で説明しようとしている。

ひとつは、宇宙由来説。
隕石に含まれるアミノ酸がわずかにL型に偏っているという観測があり、地球の生命の“最初の手”が宇宙からもたらされた可能性がある。

もうひとつは、光の偏り説。
円偏光という特殊な光が、右回りまたは左回りの分子をわずかに壊しやすい性質を持っている。
宇宙空間や初期地球の環境で、光の偏りが分子の片方を“選別”したのかもしれない。

ほかにも、地球の磁場や鉱物の結晶構造が、片方の手の分子だけを吸着・反応させやすかったという説もある。

偏りが“生命”に変わるとき

こうして生まれたわずかな傾き――たとえば、L型が51%、D型が49%。
そのほんの1%の差が、やがて生命を生む流れを決定づけた可能性がある。

自己複製を行う分子(RNAやペプチドなど)は、同じ“手の向き”の仲間としか正しく結合できない。
つまり、片手性が生まれることで、秩序だった自己複製の鎖が成立したのだ。
もし両手が混ざっていたら、構造が乱れ、生命の精緻な仕組みは立ち上がらなかったかもしれない。

「非対称性」こそ生命の始まり

宇宙は驚くほど対称的に見える。
けれど、完全な左右対称の中では、動きも、方向も、生まれない。
ほんのわずかな非対称――その「ゆがみ」こそが、時間を生み、進化を生み、生命を生み出した。

右手と左手のように、世界は対になる形で存在している。
しかし、どちらかがわずかに優位に立ったとき、秩序が生まれる。
その秩序の上で、生命は自己を認識し、他者と出会い、やがて握手を交わすようになった。

握手の起源をたどれば、宇宙へ還る

私たちが右手で握手をするのは、単なる習慣ではないのかもしれない。
生命がはるか昔、宇宙の片隅で「右か左か」を選んだその瞬間の記憶を、無意識のうちに受け継いでいるのかもしれない。

人と人との握手。
それは、分子と分子が初めて“正しい向き”で結び合った、生命誕生の記憶の再演なのだ。

文:caritabito