― 余力と奇跡が交わる夜 ―
2025年11月、トロント。
ロジャース・センターは、青の熱狂に包まれていた。
ワールドシリーズ第7戦。
勝てば世界一、負ければ冬の沈黙――。
観客の呼吸までもが、緊張のリズムに溶けていた。
序盤 ― 大谷が浴びた3ラン
ドジャースの先発・大谷翔平は、序盤から制球に苦しんでいた。
2回まで毎回ランナーを出しながらも、要所で踏ん張り無失点。
だが、その綱渡りは長く続かなかった。
3回裏、無死1・3塁。
ブルージェイズのボー・ビシェットが放った打球は、
高々と舞い上がり、センター左側のスタンドへ消えた。
3ランホームラン。
ロジャース・センターの青が爆発する。
その瞬間、大谷は両手を膝につき、うつむいた。
しばらく動かず、深く息を吸って顔を上げる。
監督の交代告げを静かに受け止め、
その表情には“切り替え”の意志があった。
投手としての役割を終え、今度は打者としてチームに貢献する。
彼はそう心に言い聞かせるように、ベンチへ戻った。
0対3。
だが、まだ物語は終わっていなかった。
伏線となった96球と、静かな信頼
前日の第6戦。
ロバーツ監督は、6回96球を投げた山本由伸をあっさりと交代させた。
山本は7回も投げるつもりでいたという。
その表情にはまだ余力があり、ボールにも切れがあった。
監督の意図は明かされていない。
だが第7戦を見れば、あの采配が“伏線”だったことは明らかだ。
ロバーツは、もし最終戦がもつれたとき、
「短いイニングでも再び彼を送り出せる」と計算していたのだろう。
静かな信頼――。
それが、翌日の奇跡を呼び寄せる。
中盤~終盤 ― 祈りを越える一打
4回にテオスカー・ヘルナンデスの犠飛、
6回にトミー・エドマンの犠飛でドジャースは2点を返す。
8回にはマックス・マンシーがソロを放ち、スコアは3対4。
そして9回表。
1死走者なし。
打席にはミゲル・ロハス。
カウントは3–2。
イェサベージのスライダーを一か八かで読んだ。
バットが走る――。
打球は左中間スタンドへ。
ロハス、シリーズ初ヒットが同点弾。
ホームベースを踏む直前、
ロハスは右拳を突き出した。
その瞬間、チーム全員の胸の奥で火が灯った。
― 運命の9回裏 ―
1死1・2塁。
ブルージェイズがサヨナラの走者を出す。
ロジャース・センターが地鳴りのように揺れる。
その時ブルペンゲートがゆっくりと開いた。
前夜96球を投げた男――山本由伸。
信じがたい決断。
だが、その歩みには迷いがなかった。
表情は静か、呼吸は深く、視線はまっすぐキャッチャーへ。
6番カーク。
初球、外角低めのスプリット。沈んでストライク。
続く2球目――鋭いシンカーがインコースに食い込み、
カークの手首をかすめた。
乾いた音が響く。
死球。
一死満塁。
だが、ここから起きたのは――奇跡だった。
7番バーショの打球は強烈なゴロ。
二塁手ロハスが逆手側に押し込まれながらも捕球。
踏ん張り、体を反転させ、本塁へ送球。
スミスがキャッチ、フォースアウト。
歓声と悲鳴が入り混じる。
続く8番クレメント。
初球をフルスイング。
高々と舞い上がった打球は左中間深くへ。
外野手二人が一直線に駆け、
衝突――。
中堅手のグラブの中に、白球はあった。
信じられないキャッチ。
山本は大きく息を吸い、「よかった」とつぶやいた。
そしてスミスとハイタッチを交わす。
この瞬間、試合の流れは完全にドジャースへと傾いた。
延長戦 ― 魂の投球と歓喜の夜
10回裏、山本は三者凡退。
リズムは完全に掌の中にあった。
11回表、キャッチャー・ウィル・スミス。
インコース高めを捉えた打球は、
歓声を裂いて左翼スタンドへ吸い込まれた。
スミスは雄たけびを上げながらベースを一周する。
ドジャース、5対4。
そして11回裏。
1死1・3塁、最後の打球はショートゴロ。
ショートのムーキー・ベッツが軽やかなステップで二塁を踏み、
一塁へ送球。
6–3のダブルプレー。
ゲームセット。
山本は両手を高く掲げ、
「やっと終わった」と言わんばかりに深く息を吐いた。
ロジャース・センターの青が沈黙し、
ドジャースベンチが雪崩のように飛び出した。
彼らは世界一となった。
そして、山本由伸はワールドシリーズMVPに輝いた。
― 終わりに ―
「余力」という勝負の美学
勝負とは、出し切ることではない。
“出し切る瞬間”を見極めることだ。
第6戦の96球――。
あの降板がなければ、この夜のマウンドはなかった。
ロバーツは、接戦になった第7戦で
最後の光を託せる投手を思い描いていた。
そして山本も、その未来を信じていた。
彼は翌日のために静かに心を温めていたのだ。
「余力」とは体力の残りではない。
信頼と覚悟、そして意志の証明である。
その交錯点に生まれた一球が、
ドジャースに“奇跡の夜”をもたらした。
文:caritabito