「Could you~?」
英語の授業で習ったこの言い方を覚えていますか。
先生はいつも言いました。「‘Can you~?’よりも丁寧な言い方だね」と。
そのときの私は、ただ「丁寧だから過去形にするのか」と、なんとなく受け取っていました。
けれど今、キャリア相談という仕事に向き合うようになって気づきます。
この「過去形」には、単なる文法を超えた意味がある。
それは、相手との間に心の距離をつくるための仕組みなのです。
1.過去形が生み出す「距離」というやさしさ
英語では、過去形は「昔」を表すだけではなく、
“現実から少し離れた世界”をつくる働きを持っています。
たとえば、
Can you help me?(手伝ってくれますか?)
よりも、
Could you help me?(もし可能なら、手伝ってもらえますか?)
の方が、やわらかく、控えめな響きになります。
これは、時間の問題ではなく、心理的な距離の問題です。
あえて過去形を使うことで、相手を追い詰めずに対話の余白を作っている。
キャリア面談でも、同じような現象が起きています。
いま苦しんでいることをそのまま言葉にすると、感情があふれてしまう。
でも、「少し前の自分」や「もしこうだったら」という形で語ると、
心は少し落ち着き、言葉が流れ始めるのです。
2.言葉の距離化とキャリアの距離化
心理学では、感情的な出来事を“一歩引いた自分”として語ることで、
反芻から再解釈へと変わる現象を”自己距離化”と呼びます。
この構造は、キャリア相談の場でも同じです。
「怒っている」「迷っている」といった“今”の感情を、
少し離れた場所から語り直すことで、
その出来事の意味が見えてくる。
まるで英語の過去形が、
「現実を一度“手のひらの上に置く”」ようにしてくれるのです。
3.時制でひらくキャリアの言葉 ― 心の距離と可能性を支える質問
キャリア相談の中で、言葉の「時制」を少し変えるだけで、
相談者の考え方や感情が穏やかに整理されることがあります。
英語の時制が教えてくれるのは、
時間を操ることが「心の安全圏」をつくる、ということです。
ここでは、英語の時制の使い分けをヒントに、
支援の現場で使える4つの視点を紹介します。
仮過去 ― 現実から少し離れる
「もし今の職場を少し離れて見たら、どんなふうに見えますか?」
このように“もし~だったら”と尋ねると、
相談者は現実をそのまま直視せずに済みます。
「少し前の自分」「少し外側の視点」として語ることで、
気持ちを整理しやすくなるのです。
怒りや不安のまま語るのではなく、
考えるための距離をつくる――それが仮過去の力です。
過去完了 ― 経験を整理する
「私は管理職には向いていないと“思っていた”」
このように“思っていた”と過去完了の形で語ると、
その信念を“いまの真実”ではなく、“過去の考え”として扱えます。
そこから、「なぜそう思うようになったのか」「今も本当にそうなのか」
という内省が始まります。
経験を一度“過去に戻す”ことで、
冷静に見つめ直す力が生まれるのです。
条件法 ― 可能性をひらく
「もしもう少し時間に余裕があったら、どんな働き方ができそうですか?」
このように“もし~できたら”と尋ねると、
相談者は現実の制約を超えて考えられるようになります。
それは、可能性の世界を開く問い。
“できるはずがない”と思っていたことが、
“もしかしたらできるかもしれない”に変わる瞬間、
人は再び未来を描く力を取り戻します。
未来完了 ― 未来を先取りして描く
未来完了は、「まだ起きていないことを、すでに起きたかのように語る」表現です。
「半年後、『異動を受けて自分らしく働けていた』としたら、どんな状態でしょう?」
と尋ねると、相談者は“理想の自分”をリアルに思い描きやすくなります。
未来を“完了形”で語ることで、
目標が単なる希望ではなく、すでに実現した前提になる。
そこから逆算して、いま何をすればいいかが見えてくるのです。
4.mustからcouldへ ― 圧から可能性へ
キャリアの悩みの多くは、「~しなければならない(must)」という思考に縛られています。
「昇進しなければ」「辞めるしかない」「頑張らなければ」――。
その言葉は、選択肢を自分で閉ざしてしまう響きを持っています。
そこに「could」や「might」を置き換えてみましょう。
「できるかもしれない」「やってみてもいいかもしれない」
このわずかな言い換えが、
未来を自分のものとして取り戻す小さな一歩になります。
義務から可能性へ、圧から余白へ。
言葉が変わると、行動の重さも変わるのです。
5.言葉の時制がつくる「探すモード」
キャリア相談とは、情報を整理する場ではなく、
“語りながら意味を見つける”場です。
過去を過去形で語れば、経験は「物語」になります。
未来を完了形で語れば、希望は「計画」に変わります。
そして今を仮過去で語ると、心は安全に考える余白を得ます。
言葉の時制は、心の時制でもあります。
それを少し動かすだけで、
「悩むモード」から「探すモード」へ――
人は静かに、自分のキャリアを動かし始めるのです。
結び ― 時制がつくる支援の地図
英語の過去形が示すもの――それは「離れる」ことの知恵です。
キャリア支援もまた、相手の中に余白と距離をつくる営みです。
距離が生まれたところに、初めて新しい語りと選択が生まれる。
もしかしたら、キャリアとはこう言えるのかもしれません。
“We grow not only by what we must do, but by what we could do.”
― 私たちは「すべきこと」だけでなく、「できるかもしれないこと」によって成長する。
文:caritabito