テレビで『ポツンと一軒家』を見ていると、
人里離れた地で暮らす人々の姿が、なぜかとても生き生きとして映る。
都会の喧騒から離れ、自然と共に生きるその表情には、
迷いや不安よりも、「いまここを生きている」という確かさがある。
そこに共通して感じられるのは、自己効力感の高さだ。
日々の営みを通じて「自分の力で生きている」という実感を得ている。
畑を耕し、薪を割り、風を読む。
それは単なる生活の手段ではなく、
世界と直接つながっている感覚を取り戻す行為のようにも見える。
1.自己という輪郭の濃さ
現代社会では、「自分」という輪郭があまりにもはっきりと描かれている。
「自分らしく」「自分を活かす」「自分の強みを発揮する」――。
どれも前向きな言葉であるが、
それが過剰になると、他者や自然との境界が厚くなってしまう。
私たちはしばしば、
“自分を証明し続けなければならない”というプレッシャーの中に生きている。
SNSでは評価の数が価値を決め、
職場では成果が存在証明になる。
こうして輪郭が強調されるほど、
人は世界から切り離された孤立した点のようになっていく。
2.「自己超越」という、もう一つの成熟
心理学者アブラハム・マズローは、
自己実現のさらに先に「自己超越(Self-Transcendence)」という段階を置いた。
それは仙人のような悟りではなく、
自分という枠をやわらかくして、他者や自然、宇宙とつながる感覚を指している。
それは特別な修行で得るものではない。
日常の中でも、ふと訪れる。
子どもの寝顔を見ているとき、
誰かの喜びを自分のことのように嬉しく思うとき、
朝の光に包まれて、何も考えずただ“生かされている”と感じるとき。
そうした瞬間、人は知らず知らずのうちに、
自分を超えて世界と共にある状態に触れている。
3.自己実現から自己超越へ
キャリアの観点から見ても、
自己実現と自己超越は連続している。
若いうちは「自分の力を試したい」「成長したい」と願う。
しかし成熟の段階に入ると、
「誰かの役に立ちたい」「経験を伝えたい」「社会と調和して働きたい」
という意識へと自然に変化していく。
この変化は、
自分の中の“主語”が変わることを意味している。
「自分がどうなるか」から「誰と、どう生きるか」へ。
それが、キャリアにおける自己超越の姿だ。
4.静寂への憧れ
社会が速くなるほど、人は静寂を求める。
合理が進むほど、意味を探す。
情報が溢れるほど、心は“空白”を欲する。
『ポツンと一軒家』の住人たちは、
まるでその象徴のように見える。
彼らは声高に「自己実現」を語らない。
ただ、自然と共に、日々の小さな達成と感謝の中で生きている。
その姿に私たちは、
「本来、人はこうして生きられるのだ」という安堵を感じるのかもしれない。
5.輪郭をやわらかくする勇気
自己超越とは、自己を消すことではない。
輪郭を消すのではなく、やわらかくすること。
そうして他者や自然とつながる余白を取り戻すこと。
社会の中で「自分」を築くことと、
世界の中で「自分を手放す」こと。
この二つは対立するものではなく、
ひとつの呼吸の両端にある。
吸うように自分を見つめ、吐くように世界へ広がっていく。
もしかしたら、
その自然な呼吸を取り戻すことこそ、
私たちがいま求めている“静かな幸福”なのかもしれない。
文:caritabito