人を支援する仕事をしていると、ふと不思議な瞬間がある。
面談の途中で、クライエントに語りかけている言葉が、
実は自分自身に向けて放たれているのではないか――
そんな感覚に襲われることがあるのだ。
「焦らなくていい」「いまの気持ちを言葉にしてみましょう」
そう語る声の奥で、
もう一人の自分が静かに頷いたり、時に問い返してきたりする。
私は本当にそう思っているのか?
自分自身の人生にも、その言葉を適用できるのか?
その対話は、外には見えない。
だが、確かに心の中で起きている。
私はその瞬間、支援者であると同時に、支援される側にもなっているのだ。
この内的な往復運動は、
私にとって「キャリア相談」という行為の本質に近いものだ。
支援とは、誰かの中で起こる“対話”を支える営みであり、
同時に、自分の中にあるもう一人の自分との対話でもある。
小説『更新ボタンのある人生』を書いたとき、
私はこの感覚を物語の形で描こうとしていた。
登場人物の西園は、支援者として成熟した視点を持つ私の“外的自己”。
一方、斎藤は、まだ踏み出せずにいる“内的自己”。
二人が対話する場面は、実のところ、私自身の心の中での会話だった。
斎藤が語る「もう一度、学んでみたい」という願い。
西園が答える「挑戦とは、自分を少しだけ前に動かすこと」。
それはまるで、私の中の“迷い”と“支え”が対話しているようだった。
キャリア理論でいえば、
これは「自己概念の統合(Super)」や「自己一致(Rogers)」の過程にも似ている。
人は他者との関わりの中で成長するが、
同時に“内なる他者”との関わり――すなわち自己対話――によっても成長する。
支援者はしばしば、「聴く力」や「共感力」を磨こうとする。
けれど、それは他者のためだけにあるのではない。
自分の中の声を聴ける人こそが、
他者の声にも真に耳を傾けられるのだと思う。
この数年、自分の中で静かに続いている問いがある。
“支援する自分”と“支援される自分”は、果たしてどこで区切れるのか。
キャリアコンサルタントとしてクライエントに寄り添う時間の中で、
私は何度も、自分の中の未解決のテーマと出会ってきた。
そして、相手の物語に触れるたびに、
自分自身の物語もまた少しずつ更新されていくのを感じる。
もしかすると、支援とは他者の物語を聴くことを通して、
自分の物語を再編集していく行為なのかもしれない。
夜、机に向かってノートを開く。
今日出会った人の言葉を思い出しながら、
自分の心の中にいるもう一人の自分と対話を始める。
「あなたは、いま何に迷っている?」
「何を怖がっている?」
「それでも、何を信じたい?」
その声を聴くたびに、
私は自分の中の“更新ボタン”をそっと押している。
人は、他者によって成長する。
そして、もう一人の自分によっても成長する。
支援者としての成熟とは、
その二つの対話を往復しながら、
沈黙の中に小さな言葉を見つけていく営みなのだと思う。
文:caritabito