コロナ禍を経て、私たちの食卓はずいぶんと静かになった。
かつて賑やかだった居酒屋の声も、家庭の団らんの時間も、少しずつ形を変えていった。
そして今、20代を中心に「つくらない・つどわない・しゃべらない」という新しい食のかたちが広がっているという。
「つくらない」―― 料理をしないことを罪悪感と結びつけない世代。
「つどわない」―― 共に食べることを前提としないライフスタイル。
「しゃべらない」―― 食事を“静かなひととき”として過ごす感覚。
それらは一見、孤立や無関心の表れのようにも映る。
しかしもう少し丁寧に見てみると、違う景色が見えてくる。
一人の食卓は、孤独ではなく“自由”の象徴かもしれない
20代が「つくらない・つどわない」方向に進んでいるのは、怠惰ではなく、効率と心地よさの最適化の結果でもある。
冷凍食品の技術革新、デリバリーの定着、時間の使い方の多様化 ――。
“つくる”という行為が「義務」ではなく「選択」になった時代だ。
同じように、“つどわない”も「誰とも関わりたくない」という拒絶ではない。
むしろ、「気を使わずに食べたい」「一人の時間を大切にしたい」という自然な欲求の表現である。
その背後には、“人と会わない”のではなく、“会いたい人にだけ会う”という、関係性の選択性が育っている。
「しゃべらない」は、沈黙を恐れない社会の兆しか
食事中に会話をしないことは、以前なら「寂しい」ことの象徴だった。
けれど、今の若者にとっては“沈黙=安心”という価値観もある。
無理に話さなくていい、気まずさを演じなくていい。
黙って食べる時間にこそ、自分を取り戻す静けさがある。
それはある意味で、情報過多の時代における防衛反応でもあるのだろう。
SNSで常に誰かとつながり、言葉を交わし続ける日常の中で、食卓だけは“言葉を手放す場所”になったのかもしれない。
便利さと孤立のはざまで
もちろん、こうした流れは課題も孕む。
「つくらない」は、食育や健康への意識を弱める可能性を。
「つどわない」は、孤立や社会的孤独を。
「しゃべらない」は、対話力や他者理解の機会を減らすかもしれない。
それでも、私たちはこの現実を“否定”ではなく“理解”から始めるべきだろう。
なぜなら、個の時代とは、他者との関係を再発明する時代でもあるからだ。
沈黙の食卓の中にも、SNSの向こう側にも、きっと新しいつながりの形が芽生えている。
「つながる」ことの再定義へ
ビジネスはこの流れを的確に捉え、個の欲求を満たす方向へ進むだろう。
だが、社会としての理想はそこに留まらない。
便利さと効率を極めた先に、再び「他者との温度」を取り戻す動きが始まる。
もしかすると次に来る潮流は、
「つくりたくなる・つどいたくなる・話したくなる」という、
“再び他者へ向かう循環”なのかもしれない。
孤食の先に見えるのは孤独ではなく、選ばれたつながり――。
それをどう育てていくかが、これからの社会に問われている。
結びに
「つくらない・つどわない・しゃべらない」は、単なるトレンドではない。
それは、人間関係の再構築の入り口なのだと思う。
一人で食べる時間も、誰かと食べる時間も、同じように尊い。
私たちはいま、静かな食卓の先に、新しい社会の形を模索しているのだ。
文:caritabito