丘の上に、ひとつの古い教会があった。
屋根の先端には、長い年月を生き抜いた風見鶏が立っている。
彼はどんな風にもすばやく向きを変え、いつも町の人に「今日の風向きを教えてくれる賢者」と呼ばれていた。
けれどもある日、旅人が丘を登ってきて、風見鶏に話しかけた。
「ねえ、君はいつも風の向きに合わせて回っているけれど――どんな風を待っているの?」
風見鶏ははじめてその問いを受け、くちばしを閉じた。
これまで“どちらを向くか”ばかり考えていて、“どんな空を見たいか”を考えたことがなかったのだ。
「風が吹くたびに、私は動いてしまう。でも、本当はどの空が好きなのだろう」
そうつぶやくと、旅人はやわらかく微笑んで言った。
「風を読むことも大事さ。でもね、自分の羽の向きを決めるのは、風じゃないよ。」
その夜、風見鶏は風に逆らわず、ただ静かに空を見上げた。
東の風が頬をなで、西の風が羽を撫でる。
そのどちらも悪くはなかった。
ただ、今の自分が見ているこの夜空が、こんなにも澄んでいることを初めて知った。
朝になり、風が止んでも、風見鶏の胸の奥では何かが動いていた。
それは、どの風にも流されずに立っていたい、という小さな願い。
“どんな風に吹かれても、空を見上げる自分でありたい”という想いだった。
文:caritabito