1.旅の途上にある「待つ時間」

旅に出ると、必ず「間」に出会う。電車を待つ駅のベンチ、船が岸を離れるまでの静かな時、山道を歩いて次の集落が見えるまでの長い坂道。現代の高速道路や新幹線に慣れた私たちにとって、それは不便で退屈な時間に見えるかもしれない。けれどもその「間」にこそ、心は最も自由になる。

かつて東海道を行き交った旅人たちは、一日の行程を終え、宿場町の灯の中で明日の天気を気にし、道中の噂を語り合った。情報はすぐに届かず、知りたいことは「明日にならなければ分からない」ことばかりだった。だがその分、人々は想像を働かせ、互いに語り合うことで不安を希望に変えていたのではないだろうか。

2.歴史が語る「間の豊かさ」

江戸の人々は、飛脚が届ける手紙を待った。京都から江戸まで数日かかる便りを、心をときめかせながら待ったのである。その時間の中で、人は何度も何度も手紙の文面を想像した。喜びか、悲しみか、それとも何気ない近況報告か。結果がわからぬ間の想像が、心を大きく揺らし、時に詩や俳句を生んだ。

現代では、メールは数秒で届く。即座に開けば即座に分かる。便利で効率的だ。だがそこに「間」は存在しない。待ち遠しさが消えたとき、人は想像力を発揮する場を失い、言葉に深みを与える契機をひとつ失っているのかもしれない。

3.「間」を失った社会の旅人たち

SNSを眺めると、誰かの幸福が瞬時に届く。海外の出来事も、災害の現場も、数秒後には私たちの掌に映し出される。情報の旅は最短距離を駆け抜け、私たちは「知らないで待つ」という経験を奪われつつある。

旅に例えるなら、それは宿場町を飛ばして一気に江戸から京へ向かうようなものだろう。確かに速い。だが道中で見えたはずの風景や、偶然に耳にした噂話や、道端で出会う人の表情はすべて削ぎ落とされてしまう。情報の速さの裏で、人生の風景が痩せ細る。これが現代の旅人たちの姿である。

4.意識的に選び取る「風の遅さ」

だからこそ私たちは、意識的に「間」を取り戻す必要がある。
旅に出たなら、あえて寄り道をしてみる。手紙が届くのを待つように、メッセージを一晩寝かせてから読む。映画を見たら、すぐに解説サイトを開かず、まずは自分の心に残った余韻を味わう。

それは昔に戻ることではない。むしろ情報社会を生き抜く新しい知恵だ。雷のように速い情報の流れの中にあって、私たちは風のように緩やかな時間を意識的に挟み込むことで、心の呼吸を取り戻すことができる。

5.終わりに ― 旅人の眼差しで

歴史をふり返れば、間のある暮らしの中で人は詩を紡ぎ、歌を生み、信じる力を育ててきた。旅の途上にある「待つ時間」は、ただの空白ではなく、心を耕す畑だったのだ。

現代に生きる私たちは、その畑を失いかけている。
だが旅人の眼差しを持つならば、間はまだそこかしこに残っている。列車の遅れ、信号待ち、ページをめくる前の一瞬――そのすべてを「風の間」と捉えることができるのだ。

雷の速さは暮らしを助け、風の遅さは心を育てる。
その二つをどう生かすかは、今を生きる私たち一人ひとりの選択に委ねられている。

文:caritabito