秋風が吹き抜ける川沿いの道を歩いていた。遠くには山の稜線が霞み、足元には落ち葉が散らばっている。季節の移ろいを肌で感じながら、ふと耳にした討論会での一場面が頭をよぎった。

「子供たちが外に向かって“すごいだろ”と胸を張れる日本にしたい」
ある政治家の言葉だった。

私は立ち止まり、川面に映る光を眺めながら、その言葉に小さな違和感を覚えた。幸せを「他者にどう映るか」で語るその姿は、旅人が見せるためだけに記念写真を撮るようなもので、そこにいる本人の体温や空気の匂いは映らないのではないか、と。

一方、別の政治家はこう答えていた。
「幸せとは自分がどう思うかである。その上で、幸せと思える国をつくりたい」

抽象的ではあったが、その言葉は山道で深呼吸するように、私の胸にすっと入ってきた。幸せの概念をまず定義する、その順序に納得感を覚えたのだ。

旅をしていると、地図にない寄り道や小さな発見がある。キャリアの対話も同じだ。相談者が「転職したい」と語ったとき、すぐに「こうすれば良い」と道を示してしまえば、見える景色は一枚の観光写真にとどまる。けれど、「あなたにとって働くとは?」「安心とは?」と概念から確かめ合うことは、寄り道のようでいて実は旅の本質を深める行為なのだ。

概念から語る言葉は、聞き手を包み込む。断定するのではなく、余白を残すことで、歩く人が自分の足で道を見つけていける。
私が違和感と納得感を同時に覚えたのは、この順序の違いに気づいたからだった。

川沿いの風に身を任せながら、私は思った。
――キャリアの旅もまた、概念の地図を手にするところから始まるのだ、と。

文:caritabito