暦の上では秋とはいえ、今年は猛暑が長く続いていた。ようやく暑さが一段落し、空気の中にほんのりと秋の気配が感じられるようになったその日、キャンピングカーに自転車を積み込み、吉備路へと向かった。
この日の目的は二つ。自転車で古墳や史跡をめぐること、そして夕暮れの空に映える赤米の田を写真に収めることだ。

拠点としたのは総社国分寺前の駐車場。車を停め、サイクルキャリアから自転車を外す。タイヤの具合を軽く確かめ、ハンドルを握り直すと、自然と気持ちが前へ向いた。最初の目的地は造山古墳。
国分寺からは片道2.4キロほど。田畑の中を縫うように走るサイクリングロードは、秋の風に揺れる稲穂と、遠くの山並みを背景にしたのどかな景色が続いていた。ほどなくして「千足装飾古墳」の石碑が見えてきた――。
千足装飾古墳との出会い

石段を登ると、円筒埴輪が並ぶ墳丘の上にたどり着く。
そこから望めたのは、雄大な造山古墳の姿だった。広大な緑の丘が里山の風景の中にどっしりと構え、まるで時を超えて存在感を放っているかのようだ。古墳の丘越しに広がる田畑や集落の景色は、古代と現在がひとつの風景の中で重なり合っていた。

石室内部を覗くと、積み上げられた石の壁が今も力強く残り、古代の葬送の場を想像させる。明治時代の発掘で銅鏡や刀剣、甲冑が出土したと説明板にある。実際に手に触れることはできなくても、ここに眠っていたであろう人々の姿を思うと、歴史がすぐ足元に息づいていることを強く感じた。

造山古墳ビジターセンターへ
千足古墳を後にして、さらに自転車を進めると「造山古墳ビジターセンター」に到着する。館の前では、来館者10万人を記念したコンサートが開かれており、ギターの音色が青空に響いていた。音楽と古墳の風景が重なり合う光景は、思いがけない旅の贈り物だった。


館内では、造山古墳が大和政権と並ぶ巨大な規模を誇っていたことや、近年の調査で明らかになった知見を知ることができた。展示パネルの一角には、地元新聞の連載記事が貼られており、最新の調査成果が紹介されていた。
そこにはこう記されていた。
「全長350m、全国で4位の規模を誇る前方後円墳。5世紀中頃、大和政権に匹敵する力を持った吉備の王が眠ると考えられる」
「2022年秋の調査では、石列が新たに見つかり、石室の部材の可能性がある」
「築造時の姿に迫るため、テラス部分から埴輪列が出土」
「千足古墳と合わせた保存管理も進む」
見学の最中に読む記事は、単なる紙面ではなく、いま目の前に広がる景色を裏付ける“解説書”のようだった。展示室で歴史を学び、外に出ればその場が広がっている。この近さこそ、現地を訪ねる旅の醍醐味だと思う。
造山古墳本体へのアプローチ
ビジターセンターを出て、自転車で造山古墳の本体へと向かう。前方後円墳の前方部側にある石段の下に自転車を停め、そこから歩いて登り始めた。石段を上ると、前方部の墳頂には「荒神社」があり、ひっそりと訪れる人を迎えていた。


境内の一角には、石棺がそのまま保存されている。苔むした石肌には、長い年月を経てきた重みが刻まれ、そこに眠った人物への想像が自然と膨らむ。古代の王や有力者を葬ったとされる石棺が、社殿の横で静かに佇んでいる光景は、まさに古代と現代が地続きであることを物語っていた。

荒神社を後にし、そのまま後円部へと進む。前方部と後円部をつなぐのは小道ではなく、広く開けた広場のような空間で、古代の祭祀の場を思わせる静けさが漂っていた。

広場を抜けて後円部へ向かい、前方部よりも高く盛り上がった丘を登る。そこからの眺めは圧巻だった。眼下には瓦屋根の町並みと田園が広がり、遠くの山々が幾重にも連なっている。その中にひときわ目を引く赤い大鳥居があった。岡山を代表するランドマークのひとつ、「最上稲荷の大鳥居」である。

古代、この地を治めた王が見下ろしたであろう景色に、現代を象徴する巨大な鳥居が重なる。その対比は、時の流れの大きさを感じさせながらも、どこか自然に溶け合っていた。
記事に記されていた「ヤマト政権に匹敵する力」という言葉を思い出す。確かに、この巨大な前方後円墳を築くには、それだけの権力と労力が必要だったに違いない。そして今もなお、古代と現代のランドマークが同じ視界に収まることで、造山古墳は「過去と現在を結ぶ場所」として生き続けているように思えた。
文:caritabito