むかしむかし、一人の青年が大きな荷車を引いて旅をしていた。
荷車には石や木材や鉄くず、仕事での悔しさ、人間関係の軋み、小さな成功の記憶――ありとあらゆるものが積まれていた。
重くて仕方がなかったが、青年は気にも留めず、ただ前へ前へと進んだ。
「走れば未来は開ける」
そう信じていたからだ。
20代のあいだ、彼はがむしゃらに荷車を押し、引きずり、転んでもまた立ち上がった。
しかし、いつも前に進めたわけではない。
あるとき、荷車があまりにも重くなり、どうしても動かなくなったことがあった。
青年はその場に座り込み、頭を抱えた。
「なぜこんなに背負っているのだろう。荷物を置いてしまえば、もっと楽に進めるのではないか」
周りを見渡すと、荷物を軽やかに手放しながら進む旅人もいた。
その姿に羨ましさを覚え、自分もそうしてみたいと心が揺れた。
けれど同時に、「ここで手放すことは逃げではないのか」という思いも湧き上がり、青年は動けなくなった。
迷い、葛藤し、停滞する日々が続いた。
それでも、やがて彼は小さな一歩を踏み出した。
荷車を見つめ直し、少しずつ動かし始めたのだ。
荷物を捨てたわけではない。ただ、自分の背負う意味を考え直したのだった。
やがて30代にさしかかるころ、青年は峠の途中で立ち止まり、長い道のりを振り返った。
重さに汗した日々、悔しさに胸を詰まらせた瞬間、仲間との出会いと別れ、迷いと停滞。
それらすべてが、自分を形づくる大切な材料だったことに気づいた。
「この荷物のおかげで、いまの自分があるんだ」
そう思えたとき、不思議なことが起こった。
荷車は以前よりも軽くなっていた。
中身は減っていないのに、心が少し楽になったのだ。
それは、荷物を「手放した」からではなく、荷物を「肯定できた」から。
重さはもう、重さのままではなくなっていた。
――私たちもまた、旅の途中で荷物を抱えている。
迷うことも、立ち止まることも、無駄ではない。
大切なのは、その重さをどう捉えるか。
そこに、旅を続ける力が宿っている。
文:caritabito