「勝ち馬に乗る」。この言葉は競馬に由来し、勝ちそうな馬に便乗して利益を得ようとする人の姿を映す。歴史を振り返れば、関ヶ原の戦いで徳川方に寝返った小早川秀秋の行動など、典型的な事例として語り継がれている。海外に目を向けても、ローマ内戦やナポレオン戦争などで同じような振る舞いは繰り返されてきた。つまり人は古来より、勝ち馬に乗ることで生き延びたり、利益を確保したりしてきたのだ。
現代においても、その行動原理は色あせることなく存在している。政治の世界では、次の総裁候補に誰が優勢かを敏感に察知し、票を投じる方向を変える議員がいる。記名投票であればなおさら「負け組」につくことを恐れて、信念よりも保身を優先してしまう。国民から見れば「流される議員」と映り、政治不信を強めるのも当然だろう。
しかし、勝ち馬に乗ることは常に否定されるべきなのだろうか。よく考えてみると、私たちの日常やキャリアにおいても同じ構図は存在している。
たとえば、職場で新しいプロジェクトが立ち上がるとき。成功の可能性が高いチームに参加した方が、自分の評価につながりやすい。あるいは人気のある上司の下で働けば、将来の昇進の道が開ける。キャリアの選択として、伸びている業界や注目される資格を選ぶのも合理的だ。これらは「勝ち馬行動」のポジティブな面だと言える。流れに敏感であることは、柔軟さや適応力の証でもある。
一方で、その裏にはリスクも潜んでいる。流行だからと資格を取ってみたものの、自分の業務や関心には結びつかず、形だけのキャリアになってしまうことがある。人気の業界に飛び込んだものの、実際の仕事内容と自分の適性が合わずに疲弊してしまう人も少なくない。結局は「勝ち馬」に乗ったつもりが、目的地の違う道を走っていたことに気づくのだ。
ここで問われるのは、「その勝ち馬は、自分が進みたい方向に走っているのか」という一点に尽きる。勝ち馬に乗ること自体は必ずしも悪ではなく、むしろ機会を広げるきっかけにもなる。ただ、それが自分の価値観や強みと結びついているかどうかを確認しない限り、流されるだけの選択になってしまう。
私たちのキャリアは、流れを読む力と、自分の軸を守る心、その両輪によって形づくられる。周囲の動きに耳を澄ませながらも、自分自身が大切にしたい方向を見失わないこと。それが、長い人生を自分らしく走り抜くために必要なのだろう。
文:caritabito