ある若手社員との面談でのこと。
こちらとしては2回目の対応。前回は、つい自分の話が長くなってしまったり、話題をあれこれ拾いすぎて、気づけば予定時間をかなりオーバーしていた。反省を込めて、今回は「控えめに、コンパクトに、時間内に」を意識して臨んだ。
結果は、予定通り。
落ち着いて話を聴けたし、時間の管理もまずまずできたと思う。
同席してくれた先輩からも「丁寧に進めていましたね」と声をかけてもらえて、少しほっとした。
けれど――そのあとにいただいたフィードバックが、心に残った。
「少し、相談者が言葉を探そうとしているところで、早めにまとめてしまっていた場面があったかもしれません」
ああ、やってしまったな、と思った。
私はどちらかというと、話を整理して返すのが得意な方で、それが「わかりやすい支援」になると信じてきた。でも、相手が自分の言葉を探している最中に要約してしまうと、その“探す過程”そのものを奪ってしまうことがあるのだ。
うまくまとまっていない、言葉になりきっていない、その不器用な時間こそが、自己理解の芽かもしれない。
それを、先回りして整えてしまうのは、もったいない。
「要約」って、つくづく難しい。
きっと私は、話を滑らかに進めること=支援と思っていたのかもしれない。
けれど、本当に大切なのは、滑らかさよりも、沈黙の中で言葉をつかむ力を信じて待つことかもしれない。
沈黙と要約、どちらに力があるのか
振り返って思う。
沈黙と要約、どちらに力があるのだろう?
要約は、確かに便利だ。話の全体像を整理し、論点を明確にする。言葉にならない想いを代弁し、安心を与えることもある。けれどそれは、相手の気持ちや考えがある程度整理されているときにこそ、効果を発揮する。
一方、沈黙には、言葉が芽吹くための時間がある。
人は沈黙のなかで、自分の内側を探る。そこには、まだ形になっていない感情、確信のない思い、誰にも見せたことのない迷いがある。その揺れを、自分の言葉でつかんでいくプロセスこそが、自己理解の核心なのだ。
その大切な瞬間を、要約で先取りしてしまえば、相手は「気づけるはずだった言葉」に出会えずに終わるかもしれない。
次は、「あ、まとめたくなってるな」と思ったときに、まず1呼吸。
その一拍の間にこそ、相談者の本当の声が生まれるかもしれないから。
私は、今日の沈黙の意味を忘れないようにしたい。
そして、要約の“力”を信じすぎず、沈黙の“余白”にも敬意を払える支援者でありたい。
文:caritabito