4日目、最終日。岡山に帰る道中、岩国の錦帯橋へ寄ることにした。豊浦町から約100キロ東へ向かって走り、岩国ICで高速を降りる。川沿いに車を進めると、視界の先に美しいアーチを描く錦帯橋が姿を現した。

朝の柔らかな光が木造の橋を照らし、五連のアーチが錦川の水面に映るその様子は、まるで絵画のようだった。観光駐車場にキャンピングカーを停め、橋のたもとまで歩を進める。観光客の姿もちらほらと見え、橋の中央で立ち止まり写真を撮る人の姿もあった。

私たちも橋を渡ることにした。アーチを描く橋の構造に目を奪われながら、ゆっくりと一歩ずつ歩を進める。木のぬくもりが足裏に伝わり、川風が心地よく吹き抜けていく。橋を渡りきった先には吉香公園や岩国城ロープウェイの乗り場もあったが、私たちは吉川史料館を訪れることにした。

館内では、岩国藩の歴史や吉川家の由緒、そして錦帯橋にまつわる多くの資料が展示されていた。特に印象的だったのは、幾度もの洪水による流失を経て、橋をいかにして“流れない橋”へと進化させたかという技術の系譜。そして、その構造を守り継ごうとする岩国の人々の思いの深さだった。

なぜ、あの場所に橋を架ける必要があったのか――それは、錦川を挟んで築かれた山の上の岩国城と城下町とを結ぶ、藩の命綱だったからだと知った。岩国城は、関ヶ原の戦い後、周防・長門を守る防衛拠点として吉川広家が築いた城で、幕府の目を避けて密かに構えた山城であった。その麓に広がる城下町とをつなぐ交通手段として、錦帯橋はまさに不可欠の存在だったのだ。
しかし、錦川はたびたび氾濫する暴れ川でもあり、橋を架けてもすぐに流されてしまった。だからこそ、川の中に橋脚を立てず、五連の木造アーチで川をまたぐという独自の構造が生まれた。自然と共存しながらも、人の知恵と誇りが詰まった橋――それが錦帯橋だった。
錦帯橋は単なる観光名所ではなく、岩国の地に根を張った歴史と技術、そして誇りの結晶であることが、史料館での学びからひしひしと伝わってきた。

その感動を胸に、再び橋を渡って戻る。行きとはまったく違った視点で、橋の一本一本の木材やアーチの構造が目に映る。触れる手すりにも、足元の感触にも、すべてに歴史の重みを感じた。風景の中に、これまで知識の中になかった「意味」が宿っている。歴史は単なる過去ではなく、今も生きてつながっている――そんな感覚がじんわりと心に広がっていった。
まさに、行きと帰りで違って見えた橋だった。
その後、山陽道を東へと走り、夕方には岡山の自宅に到着。こうして、4日間の夏の旅は静かに幕を下ろした。
文・写真:caritabito